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同一性と異質性のフーガ

同一性と異質性に引っ掛かっている。普遍性と多様性などと同様、ずっと引っ掛かってる。というか、ずっと引っ掛りつづけると思う。何が同じで何が違うのか。この「何が」はどれだけあるのか・・・とりあえず、しまりなくダラダラと。

生命という意味では、大腸菌も人間も同じだし、真核細胞生物という意味では、カビも人間も同じ。脊椎動物という意味では、カツオも人間も同じだ。だけど、人間はカツオでもなければカビでもないし、まして大腸菌でもない。五百円玉を見てドーナツと同じだという(1)。小林秀雄はある日道端で出会った蛍がお母さんの生まれ変わりだと思えて仕方なかった時があったそうだ(2)。

本物を偽物だといい張るカプグラ症候群という疾患があるそうです。父親なのに、その患者にとっては、顔も声も仕草も患者について話す内容も父親とそっくりな偽物なのです。視覚中枢と情動の中枢である扁桃体をつなぐ神経が切れているのだそうです。そのため、父親に対する本来の感情が働かず、合理的な判断として「父親は偽物」となるらしい(3)。

違うのに同じ、同じなのに違う。なぜか、ヒトの脳は、一見して違うものの間には同じものを、一見して同じものの間には違うものを探し出す癖があるのか(4)。飛んで行ってしまった風船の代わりに別の風船を与えても、あの風船じゃないといって泣きじゃくる子供(5)。

慣れ親しんだ物や人には、カテゴリーすなわち一般名詞としての物や人ではなく、固有名詞の物や人として、情動系が働くのだと思う。遠くの人の死は抽象的だが、近くの人の死は具体的だ。はたらく感情が違う。

ヒトのゲノムは、99.9%同じだそうです(6)。個体は何パーセントかしらないが、ほとんど同じだろう。だから違いが目立つのだ。小さい頃、外国人の顔はみな同じでした。今はみんな違って見えます。違いを認めようといいながら格差は認めない。NO-ONEよりONLY-ONEって、なに? 遺伝子多型が許されるのは、性能は違っても機能は同じだからだと思います。

それをそれとして見るのが科学とすれば、それをあるものとして見るのが芸術なのか。

偽物は本物に限りなく似ることによって、偽物になれるのだ。小さな差異は粋だが、大きな差異は野暮だ、嫌味だ。差異は小さければ小さいほど輝く。

人間は小さな差異を競う。人間と人間の格差は気にするが、人間とエビの格差は気にしない。金持ちは金持ちと、貧乏人は貧乏人と競う。金持ちと貧乏人は競わない。無視するだけだ。 男と男、女と女はケンカするが、男と女はケンカしない。ただやるだけだ。


(1)http://homepage1.nifty.com/monet2/art/utusu.html#10
2)『脳内現象』茂木健一郎、P22
3)『脳のなかの幽霊』ラマチャンドラン、P208
(4)http://hp.vector.co.jp/authors/VA020725/70615.htm
(5)http://www.onyx.dti.ne.jp/sultan/colum110.html
(6)http://members.at.infoseek.co.jp/bunseiri/snpwhat.htm

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