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[心と体] 機械的な反復

・現状維持バイアス(註1) 「行動経済学」P158-160

現状がとりわけ嫌な状態でない限り、現状からの変化は、よくなる可能性と悪くなる可能性の両方がある。そこで損失回避的傾向が働けば、現状維持に対する志向が強くなるのである。(中略)

「慣性は物理的世界のみならず、社会的世界の性質でもある」(モシンスキとバーヒレル)。

サミュエルソンとゼックハウザーは、「現状の選択肢に固執する、企業の慣習的な方針に従う、現職をもう一期再任する、同じブランドの商品を買う、同じ職場に留まる」といった人々の傾向は、この慣性と結びついているという。


というのがあって、この原因は、生命のリズムと関係するのでは!?と思い、単調な反復、同じことの繰り返しであるとか、それに関連する事柄を調べた。

・「「どですかでん」あるいは機械的反復の魅惑 」(by Internet Photo Magazine Japan)

むしろこの機械的な反復は、人間にとって快楽なのだ。フロイトも次のように言っている(「性理論三編」中山元編訳『エロス論集』ちくま学芸文庫、136-7頁)

 身体にリズミカルに機械的な振動が加えられた場合に、性的な興奮が生み出されることを指摘しておく必要がある。(中略)だから子供が揺さぶられたり、放り上げられたりするような受動的な運動を特に好み、こうした運動を何度も繰り返して欲しがるのは、ある種の機械的な身体の振動が、決感を生み出すことの証拠である。むずかる幼児を寝かしつけるためには、揺り動かすのが効果的であることは、よく知られている。車に乗ったり、また大きくなってからは汽車に乗って揺り動かされることは、年長の子供を魅了するのである。


・「小津安二郎における機械的反復 」(by Internet Photo Magazine Japan)

・「オートマタ・・・・・・反復運動のエロティシズム 」(by Asylum in Silence)

しかし、最初にこのテンプの反復運動から性器の出し入れを思いついたその着想力はとても示唆に富んでいるような気がする。なぜなら、以前、花村萬月が何かの小説で言及していたように(・・・・・・ってこの人、ホント最近は性哲学者に近いよね~)、このよう規則正しい反復や、またそれによる単調さ自体がずいぶんエロティックなものだからだ。もちょっというと性的な高揚感がそこにはある。

 ミニマルミュージックやヴェルベッツ、ファウストやDAFの楽曲での単純なシーケンスパタン、ワンコード、あるいは単調なドラムの連打、ルート音だけをなぞり続けるベースといった、もろもろの要素が何故にあんなに不思議な高揚感をもたらすのかと言えば、それは反復そのものの持つ効果なのではないかと思う。
 そぉいやテクノに「トランス」ってカテゴリーがあるけれど、テクノはその出発点がそもそもトランスなんぢゃないのかな?

 労働だってそうだ。往々にしてベルトコンベアの横で同じ単純な動きをひたすら繰り返すような作業は、チャップリンのモダンタイムスぢゃないけど、非人間的な労働の象徴と考えられているが、果たしてホントにそれだけだろうか?
 たしかに単純作業の繰り返しは辛い。学生の頃の単発バイトで、伏見の造り酒屋で流れてくる一升瓶の酒を、ひたすら10本入りの木枠に入れて、それをパレットの上に12本回しの5段で積み上げる、っちゅうのをやったことがある。本来は2人のところが一人がズル休みしたオカゲで、おれは文字通り2人分働かされた。
 どんなに必死に取ってもライン末端の回転する丸い台の上には、それ以上に少しづつ余計に一升瓶がたまっていく。そのうち台からあふれそうになるとオッサンが走ってきて最低限手伝ってくれる。オッサンも自分のポジションがあってこれまた必死なのだ。
 言うまでもなく死ぬほど疲れたし、金輪際こんな零細の過酷なトコには来るかい、と心に誓ったのだけれども、それでもその疲労にどこか性的なトリップ感覚があったのは事実だ。「法悦」に近かった、と言ってもいい。

 ま、その時はマラソンランナーみたいにドーパミンが大量に放出されてたのだろう。そぉいやマラソンも、景色の変化やペース配分に若干の変容があるとはいえ、これまた単純な、手足を振って走るだけの単純極まりない反復運動だ。

 法悦、つまりは宗教的エクスタシーのことだが、まさに宗教の修行もまた単調な反復を基本にしてる。飽きず規則正しく繰り返される朝の勤行、百万遍の念仏の口誦、法華の太鼓、千日回峰、面壁9年・・・・・・仏教的なことばっか書いたけど、他の宗教も含めて修行なんてみんな同じことの繰り返しばかりではないか。
 未開の地の呪術師だって、ハッパやサボテンやカエルの助けを借りたりするとはいえ、トントコトントコとタムの単調なリズムがなくてはトランス状態にに入れない。
 その向うに神か仏かは知らんけど、何がしかの、論理だけでは到れない高みがある。決して絶対的な至高ではない。性の高みとそれは極めて近似している。

・「浅田彰【テクノミニマリズムの登場】 」(by 批評空間【critical space】)

・「ウォーホルのミニマリズム映画 」(by Kino_Balazs_home)

・「繰り返しを取り戻せ! 」(by 思考の迷宮)

・「マンネリズム 」(by 『風の旅人』編集だより)

・「フラクタル 」(by 量子論と複雑系のパラダイム)

・「F分の1ゆらぎの謎にせまる」(by at home こだわりアカデミー)

・「自意識と不快感について 」(by ライフハックの心理学)

・「セレンディピティとか不確実性とか感情システムとか 」(by it1127)

P96 子供は、保護者が見守ってくれているという安心感があって、はじめてその探究心を十分に発揮できるにのである。(中略)安心と探索のバランスをとることは、脳の大脳皮質の下にある大脳辺縁系を中心とする感情のシステムの大切なはたらきである。人間に限らず、動物は、「安全基地(註2)を確保する」という命題と、「新しい可能性を探索する」という命題を両立させることで生き延びてきた。感情のシステムが、安全基地が失われてしまったと判断すると、探索する動機付けも低下してしまう。(中略)過保護にならない範囲で、探索する為の安全基地が一人ひとりに確保されることが必要とされる。変革の時代にこそ、私たちの脳の仕組みにかなったやり方が求められるのではないか(*)。
要するに、機械的な反復はホメオスタシスであって基本的には気持ちがいい。だから眠ってしまう。それを退屈ともいう。そして、新しいものへと向かう。それがネオフィリア、一種の病気!?

やはり、慣れ親しんだ空間はホッとする。習慣の存在というものは、そういう人間にとって居心地の良いことなのではと思った。

註1 これとも関連すると思われる。
・「 「過剰慣性」(excess inertia)と「過剰転移」(excess momentum) 」(by 國領研究室のホームページ)

註2 大いに関係ありそ。
・「桃語:アジール 」(by ももちどぶろぐ)

■「エロティックな時計たち
Eroticawatch01

■関連ページ&サイト
・「人はなぜ愛するか・愛情 オキシトシン 」(by ユマニテ)
・「いまさらオキシトシン@信用ホルモン」(by [ EP end-point 科学に佇む心と身体Pt.2] )

分娩・授乳・オーガズムの際に子宮を収縮させるホルモンとして知られてきたオキシトシンだが、脳内のオキシトシン受容体は「報酬」に関係する領域に存在しており、人間の社会行動上、重要な役割を果たしている。
肯定的な人間関係を感情体験すると、社交上手な女性では血中のオキシトシン濃度が急上昇する。
社交下手な女性ではさほどの濃度上昇は見られなかった。
ひきこもりなども、なんぼかオキシトシンをカギに考察してみるべきかもしれない。(p.168-169大意)

ということで、人見知りをする人、人に会うのが恐い人おっくうな人、これまではセロトニンがいいんじゃないとか西洋オトギリ草はとかいろいろお薬言われていたけれど、候補にオキシトシンも挙がりましたよと。
人間が恐い、それはオキシトシン不足のせい?


・「愛情・触れ合いがストレスを緩和する。 」(by ~The Academy of Holistic Studies~)

・「禅と脳 」(by 玄侑宗久公式サイトへようこそ!)

・「禅が脳に効く 」(by Kameno's Digital Photo Log)

「心の三原色」
・ドーパミン神経   (快の情動回路)
・ノルアドレナリン神経(脳内の危機管理センター)
・セロトニン神経   (舞い上がりもせず、不安にならず、平常心をもたらす)

・「セロトニン神経が平常心を生む〈ストレスがストレスでなくなる心をつくる〉 」(by 平常心)

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